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ジュエリーの歴史

現在では気軽に身につけることができ、女性を輝かせるためのマストアイテムとなったジュエリーですが、その歴史は古く、いつの時代もジュエリーは装飾品として愛されてきました。
ヨーロッパでのジュエリー文化は約3000年前から存在していると言われています。

また、エジプトのピラミッドの中からは現存する最古の指輪が発見されているなど、現在のような細工は施されていないにせよ、すでに装飾品として存在していたことに驚かされます。

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■ 中世のジュエリー

それまでに存在していたジュエリーが、さらに細工の精度を増し完成度が高まったのがローマ帝国時代です。
ローマ帝国時代にはすでに宝飾文化が根付いており、ローマの文化と共にジュエリーもヨーロッパ全土に広がるようになりました。
ローマ帝国の発展によって一般大衆に広く伝わるようになった装飾品は、権力の象徴としてだけではなく、身分に関係なく楽しめるファッション性の意味合いも強かったようです。
そして、ジュエリーの発展に大きな変化をもたらせたのがキリスト教の存在です。
キリスト教がローマ帝国の国教となると教会の権威を示す宝飾品が多く世に出回るようになります。
教会への奉納品として、または聖職者の権威を示すために色鮮やかな宝石や、金をあしらった指輪や胸飾りなどの宝飾品が次々と誕生していきました。

この時代には多くの装飾品が進化しましたが、やがて支配階級がそれを制限することもありました。
絢爛豪華な装飾品が富裕層に流行するとフランスでは市民階級が装飾品を身につけることが許されず、貴族の特権とされた時代もありました。
ルネサンスの時代になるとジュエリーの意味合いは貴族や王家など一部の富豪が権力を誇示するためのものとして考えられていました。
ジュエリーのファッション性は影を潜め、資産的価値がより濃くなっていったのです。

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■ 近世のジュエリー

ルネッサンス期を経て装飾品が世の中に広く普及してくると、技術やデザインが高度に進化していきました。
宝石の研磨技術の進歩や石留めの技術を生み出したことにより様々なモチーフが可能となります。
また、17世紀にはそれまでエナメルによって彩色されていたものから、宝石そのものの色を活かしたジュエリーなどより鮮やかなものが現れるようになりました。
18世紀ごろになると一般の女性でも装飾品を身につけるようになり、いわゆる「ジョージアン」「ビクトリアン」といったアンティークジュエリーはこの時代のものが多いです。
この時代の背景には産業革命の影響があり、経済が活発になったため以前に比べて多くのジュエリーが作られるようになりました。
さらに金の価格が上昇した時期でもあるため、少ない金で豪華なジュエリーと作ろうと金細工の技術が発達し、繊細なアンティークジュエリーが作り出された時期でもあります。

■ 日本のジュエリー

日本でも古くは縄文時代から多くの装飾品が身につけられてきました。
当時の遺跡からは貝殻を使った首飾りや腕輪などが発見されています。また古墳時代には指輪や耳飾りなどの装飾品が発見されており、当時から現在と同じようなニュアンスの装飾品が存在していたことが判明しています。
その後、これらの装飾品は忽然と姿を消し、ヨーロッパ的なジュエリーが入ってきたのは明治時代になってからなので、宝石やジュエリーとの出会いは割と最近だと言えます。
明治初期には一部の上流階級の間でジュエリーの認知度が徐々に高まり、ファッションとして身につける女性の姿も見受けられるようになりました。指輪をつけた日本人女性の写真や絵画などが登場してくるのもこの時期くらいからです。その後、鹿鳴館時代を迎えると急速に西洋化が進み、日本におけるジュエリー文化も大きく発展していきました。

昭和に入るとそれまで輸入が主流だったジュエリーは国内での製作も増え、ジュエリー製作の技術も劇的に向上していきます。元々器用で丁寧な作業を得意とする日本人の職人気質と合い、この時代には斬新な発想を形にしたジュエリーが多数生まれています。
やがて太平洋戦争に突入すると輸入や製作は禁止となり、日本のジュエリーは暗黒時代となります。戦後の欧米化に伴い、再度ジュエリー文化が復活して量産化も進み、庶民の間でも普段から身につけられる装飾品として広まっていきます。

今ではジュエリーは、権力や宗教上の意味合いで着けるよりも、毎日のファッションとして自分をより輝かせるために身につけるものとなっています。毎日をよりハッピーにしてくれるジュエリーは、現代女性の強い味方とも言えるかもしれません。

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